令和になりました。そして平成が終わりました。
時計を見ると
家で台所の片付けをしていると、ふと時間が気になったので時計を見た。
2019年4月30日夜11時58分。
『おお、
こんなことしている場合じゃない、歴史的瞬間までもうすぐだ。』
そう思って急いで手を止め、黙祷した。
家族や仲間たちとワイワイ言いながらこの時を迎えた人、
家で1人で過ごしている人、
歴史的瞬間など全く興味がない人、
わずかな時間で想像のつく限り、いろんな人の『今』を頭に思い浮かべた。
そして台所でいきなり正座して祈っている自分に意識を戻した。
こんな歴史的瞬間に感じたのは、孤独だった。
家に家族がいたって、この歴史的瞬間に1人で祈っているとは。
私が同居している家族たちは、歴史的瞬間など興味がない人たちだと言える。
私は、この考え方の違う家族と一緒にいることは実はとんでもなく凄いことなのかもしれないと思った。
分かり合えるはずがない、それぞれがそれぞれの思い通りに行動してくれるはずがない、良くこの同居生活が継続しているものだ…と。
私にとって令和は、当たり前のことをまるで物凄い発見をしたかのような錯覚に陥って始まった。
『今に感謝して生きる』
そんな大切なことを忘れてしまうところだったことにも気付いた。
他人がいるから自分は存在しているし、死ぬまで他人と関わって生きて行くのだと思う。
自分が何かをするときに、そのときそばにいる誰かのことまで考えられたら…。
そんな生き方が出来ればと思う。